1000話「テラナー」について (6)
1000話「テラナー」について、いよいよ最終回である。
ローダン・ヘフト1000話の表紙には、こう書かれている。
Der Terraner
Die kosmische Bestimmung der Menschheit
物語のタイトルと、あおり文句。今回のテーマである後者を、初回でも述べたとおり、「人類の宇宙的天命」と読む。
最終回 人類の天命の物語
女性名詞 Bestimmung は、手元の新現代独和辞典を見ると、おおよそ以下のようになっている。
(1) 決定、規定、命令、制定
(2) 行き先、届け先、(決められた)用途・目的
(3) 定義、限定、評価
(4) 本文、使命、天職、宿命、天命
800話『テルムの女帝』の用語チェックの際、ちらりと書いているが、わたしには同義語・類義語を訳し分ける自分ルールがいくつかある。そして、たまたま上記 Bestimmung も、そのひとつだった。
(→ テル女:用語チェック (2))
(a) Schicksal / 運命
(b) Fatum / 宿命 (形容詞:fatal)
(c) Bestimmung / 天命 (形容詞:bestimmt)
※たぶん1550話『新たなる天命』あたりで整理した……と思う。なにぶん昔の話なので。
ローダン宇宙……というか、フォルツ宇宙における Bestimmung は、新現代独和にいう(2)と(4)――「天命(天与の役割)」、ぶっちゃけ「さだめ」である。
かなり乱暴な解釈をすると、運命とは「人知を超えた、幸福や不幸の巡りあわせ」、宿命は「前世から定められた動かしようのない運命」、そして天命とは「天帝の命令、天から与えられた生涯かけて果たす務め」となる。
では、今回のテーマともいえる「人類の宇宙的天命(さだめられた役割)」とは、いったい何のことなのか。
◆
一番顕著な事例は、746話「時知らざる者」において、カリブソとアラスカ・シェーデレーアの会話中で、述べられている。
「われわれは、なにをなすべきかを承知していた。おのずとそうなるもの。大宇宙にひろがるどんな種族も、天与の使命を授かるのだ」
(中略)
「テラナーはただ単に拡大する。宇宙じゅうに広まっていく。まるで寄生体だ!」
「われわれにだって、意味はある!」
と、アラスカが抗弁するわけだ。テラナーは、まだそれを知らないだけなのだ、と。
文中の「天与の使命」の原語は eine bestimmte Aufgabe ……「ある、さだめられた任務」である。当時のわたしの試訳では、「特定の任務」となっている。最終回のテーマにそって、多少いじってみた。
一方のハヤカワ版の当該箇所は、一部誤訳もあって、正しく読みとくのは難しい。日本の読者さんは、フォルツの綴る物語において、それが大事な争点のひとつであることを知らないままかもしれない。
(→「時間超越 -10- part1」)
でも、まあ、たしかシュミットとかキトマあたりにも、アラスカは似たよーな非難をあびせられていた気もするので、気がむいたら探してみるのも良いかもしれない。発見したら教えて下さい(をひ
閑話休題。
ともあれ、この話(1000話)は、大群(より正確には、キトマやシュミット)との遭遇以来、フォルツ・ストーリーの軸のひとつであった、「人類の存在意義とは」という問いに対する、ひとつの回答なんだよ――上記サブタイトルは、読者にそう告げているのだ。
読者がフォルツのファンであるならば、それだけでわくわくせずにはいられないはずである。
では、その回答がどのように導かれているかというと……。
ここはごやてんらしく、作中でその「天命」= Bestimmung がどう用いられているか、例をあげて見ていこう。
◆
Bestimmung 例1
さて、本書『テラナー』は、ローダン世界とわれわれの現実世界(グラフィティ)との二重構造である。
その中で、2点だけ、両方にかかる部分がある。ひとつが、最後のグラフィティ。もう一方が、次にあげる冒頭の引用文だ。
ハヤカワ版(p139):
若い人たちは、人間とは文字どおり機械にすぎないと信じているのだろうか? 権力も声望もない、指示にしたがうだけの存在だと。高みをめざして前進する者すべてを破壊し、あらゆる努力を弱体化させる、こうした運命論的な独断に対して、わたしはものを書きはじめて以来、倦むことなく戦いつづけている。原文:
“Junge Menschen lernen zu glauben, der Mensch sei buchstäblich nicht mehr als ein Apparat – ohne Macht oder Einfluß, was seine Bestimmung angeht. Gegen dieses fatalistische Dogma, das alles Streben nach Höherem zerstört, alles Bemühen schwächt, habe ich, in meinem eigenen kleinen Bereich, seit ich zu zu schreiben begann, nie abgelassen anzukämpfen.”
試訳:
「若者たちは人間が文字通り道具にすぎないと信ずることを学ぶ――その天命にかかわる、いかなる影響力もない、と。高みをめざすあらゆる希求を破壊し、すべての努力を損なうこの宿命論的ドグマに対し、わたしはおのが小さな領分において執筆をはじめて以来、一貫して抗いつづけてきた」
巻頭引用句、W・マクドゥーガルのものである。
私家版においては、当該箇所は「用途」と訳した。「役割」の部分を強調した方がより「単なる道具」っぽくてよさそうに思えたからだが、今回はあえて「天命」とした。
直訳すると「若い人間たちは信じることを学ぶ/人間は文字通り道具以上のなにものでもないのだと/その(道具の)さだめられた役割について/(つくる)力も影響力もなく」。
なぜ“つくる力”なのかは、バルディオク関連記事を参照してもらいたい。
(→ 続850話・生兵法はケガの元)
ともかく、自分の「役割」を、己自身で生み出すことも、変えることもできない、単なる社会の歯車にすぎないのだと、信じることを学ぶ――社会に、環境によって教え込まれる。宿命論的な「あらかじめ決まっていて、人の努力ではどうしようもない」というドグマとは、そういうもっと辛らつなものである。
ハヤカワ版の翻訳でも、基本的論調は共通しているが、Bestimmung を「指示」としたためか、本文が疑問文になりちょっとふわっとした感じである。seineを流してしまったせいで、なんの(だれの)Bestimmung なのかが漠然としてしまったのだろう。
また、Bestimmung の意味が異なるため、ohne 以降の節がぽっかり浮いてしまった。
以下はちょっと本筋からはずれるが、同じ引用文の「運命論的」fatalistisch は、
ハヤカワ版(p179):
ファアデンワルン人は自分の存在を宿命論的にとらえているようだ。原文:
die Faadenwarner offenbar recht fatalistisch waren, wenn es um ihre Existenz ging.
と同じ単語であり、人(ロオク)の意志によってものごとをなそうとすることの対蹠的役割を演じている。宿命論/運命論、どちらも同じものだが、できたら統一してほしかった。
上記2つの意味において、この引用文、けっこう重要なのである。
Bestimmung 例2
ハヤカワ版(P161):
船がなにかの規定を読みあげるような調子で答える。原文:
belehrte ihn das Schiff in einer Art und Weise, als lese es irgendwelche Bestimmungen von einem Vordruck ab.
試訳:
船がまるで、書式に則った規定を読み上げるように指摘した。
ここのみ新現代独和の(1)に相当する。
さすがに、書式になった天命とかできません(笑)
Bestimmung 例3
ハヤカワ版(p218):
だが、人類の未来と運命を決めるゲームはまだ終わらず……原文:
Das Spiel um Zukunft und Bestimmung der Meschheit ging jedoch trotz der Überwindung der PAD-Seuche weiter –
試訳:
だが、PAD病の克服にもかかわらず、人類の未来と天命をめぐるゲームはつづき――
〈それ〉と〈反それ〉の宇宙チェス――これも、コスミック・チェス、“宇宙秩序にかかわる”チェスゲームである――は、ある意味、人類の天命に直結しかねないものだった。その決着は、すなわち〈それ〉の力の集合体の今後(ポジティヴ/ネガティヴ)を自動的に確定するからだ。最終的に、従来からの主導人格ともいえる第一プレイヤーが勝利したため、劇的な変化は見られなかったのだが。
PAD病のくだりは、前の段落がそれに該当するので、冗長さ対策ということで、削除は妥当か。
Bestimmung 例4
ハヤカワ版(p223):
人類の運命はどうなるのかという質問の答えを得ることはできなかった。原文:
Die Antwort auf die Frage nach der Bestimmung der Menschheit vermochte Rhodan auch nicht finden,
試訳:
人類の天命とはなにかという問いへの回答は、ローダンには見いだすことができなかった。
直訳すると、「人類の天命問題に対する回答」。
ローダンはおそらくアラスカから惑星デログヴァニアでの事件についても報告を受けていたであろうし、《バジス》におけるライレと泉主パンカ=スクリンとの確執に、自分たちとコスモクラートとのスタンスの差を感じてもいただろう。彼の目からすれば、盲従的にその傘下に入ることはためらわれたにちがいない。
本書において、長年お世話になってきたワンダラーの親分さんの述懐を聞かされてようやく、広域暴力団・宇宙秩序会の杯をいただくことになるわけである(笑)
Bestimmung 例5
ハヤカワ版(p276):
悲観的な見通しを語られながらも危機に強いことを証明したGAVÖKの創設も、たぶんこのための布石だったのだろう。原文:
Vielleicht lag darin die eigentliche Bestimmung der GAVÖK, die sich allen Unkenrufen zum Trotz als ziemlich krisenfest erwiesen hatte.
試訳:
悪評紛々にもかかわらず危機への耐性を証明したばかりの銀尊連の、本来の天命はこのためにこそあるのかもしれない。
私家版では「~銀河種族尊厳連合は、まさにこのために存在したのかもしれない。」とした。原文をみれば、「役割」の意味合いが強いのがわかる。新現代独和の(4)で訳せないこともないが、どちらかというと(2)に該当する。
元々は公会議支配に対抗するためではあったが、銀河系の諸種族を結びつけることを目的とする銀尊連は、コスミック・ハンザの裏の目的にとって大きな助けとなるはずだ。ひいては銀河種族全体で超知性体への道を歩むためにも。
◆
と、ここまで書いてきた流れで本編を見ると、「人類の天命」とは――
与えられた2万年の時間を使い、銀河系諸種族とともに超知性体になること
(ひいては物質の泉、コスモクラートへといたること)
その遙かな道程への足がかりとして、
多銀河連合組織〈コスミック・ハンザ〉を創設する
……で、ファイナル・アンサーに見える、のだが。
冒頭述べたとおり、本書『テラナー』は、ローダン世界とわれわれの現実世界との二重構造である。その最終章、ペリー・ローダンという男のグラフィティに、最後の“天命”が待っている。
◆
Bestimmung 例6
ハヤカワ版(p283):
だれもが心の奥におさえきれない熱望を秘めていることを信じている。人類の宇宙的な運命を知りたいという熱望を。原文:
Er glaubt, daß tief in jedem Menschen eine unstillbare Sehnsucht verankert ist, seine kosmische Bestimmung zu erfahren.
試訳:
人間ひとりひとりの奥深く、おのが天命を知ることをもとめてやまない気持ちが根ざすと信じている。
前回にも引用したが、10年以上前に訳したそのままである。
ここでは、冠詞が seine であるため、それぞれの人間が、自分の Bestimmung を知りたいのだ。というか、ローダンのグラフィティ、前回取りあげた後半の文節、上記以外すべて der Mensch(ひとりの人間)が主語である。Menschheit(人類)どころか Menschen(複数の人間)ですらない。上記についても、jedem 「おのおの、それぞれ」なので、実質的に「個人」である。
ストーリー本編内の人類(総体)としての天命から、再び人間(個々)の天命へとシフトしている。強弁すると、これは冒頭の引用文への回帰である。おのが天命に対する力も影響も持たない人々へささやかなエールを贈るマクドゥガルの文章に、フォルツは大きな共感を抱いたのだろう。
それはそうだ。フォルツの初期のキャラクターたち、「グリーンホーン」のジョン・ピンサー、「一握りの永遠」のヘンドリック・ヴォーナー、「氷の罠」のドン・キルマクトマスなどは誰も、運命のいたずらで、どうにもならない状況に追いつめられ、生き残るため、使命を果たすためにあがきつづける平凡な人々だ。特にキルマクトマスは、ドイツのファンダム由来の voltzen「フォルツる、フォルツする」なる珍妙な動詞――人間的に愛すべきキャラクターで読者の共感を呼びながら、物語の結末で、自分ではなく他の誰かを守るため、悲壮な覚悟のうえの最期を遂げること――の代表例といえるだろう。
シリーズのレギュラーとなり、生みの親フォルツの死後も活躍をつづけるアラスカ・シェーデレーアも、規模こそちがえど、運命に対してあがきつづけるところは同じである。
彼らは皆、運命に戦いを挑み……多大な犠牲をはらって、ささやかな勝利を得る。
◆
と、ここまで来て、思うのだ。フォルツの思想――信念は、「天命」とは天与の使命でこそあるが、それはけっして未来永劫不変というわけではない、というものではなかったのか。おのが意志、志望によって、“つくる”ことができるもの、なのでは、と。
カリブソら、先発の“大宇宙にひろがる種族たち”は、天与の使命をあるがまま与えられたままにうけいれる。一方、“天与の使命を知らない”テラナーは、自らひとつの使命を創出し、自らに科していくのではないか。
そしてコスミック・ハンザという、通商組織の皮をかぶった対セト・アポフィス防衛機構は、そうしたステージに立った人類とその友好種族の進化への道程をサポートするに最適である。重要拠点には6つのコスミック・バザールが置かれ、定期的に楔型船のキャラバンが往来する。そして、広大な力の集合体各所をゼロ時間で結ぶ意思決定機関、ペリー・ローダン。
ある意味最強である。銀河系のみならず、局部銀河群の諸種族を有機的に結び付ける、銀尊連を超える役割をはたすべきものとして、これ以上は考えられない。
あるいは、それゆえにこそ“フォルツ後”のストーリーでは持て余してしまったのかもしれない。強大な力を持ちすぎたがゆえに、第一次ギャラクティカムが瓦解した後の銀河系では、逆に騒動のタネとなってしまった。
実にもったいない。いまとなってはシリーズから姿を消してしまった組織ではあるが、そう思う。
力を持たないちっぽけな人間をこよなく愛した作家、ウィリアム・フォルツ。
彼は本書を“テラナー”たりうる多くの人々に捧げた。そのメッセージは、最後のグラフィティに明らかである。
――人類が自らをこのすばらしき大宇宙の一部と知り、調和に満ちて生きていけると信じている。
この一文こそが、フォルツの願った「人類の宇宙的天命」だったのではないか。
誰しもが、お仕着せの宿命ではなく、思いさだめた天命を胸に邁進してよいのだと。
ただ、無限にひろがる、調和に満ちた世界への憧れを忘れないでと。その気持ちひとつあれば、誰もが“テラナー”なのだと。
そう呼びかけ、われわれの背中を押してくれたのだ。
そのことに感謝すると同時に、この稿は、やはりこの言葉で閉じるべきだと思われる。
ウィリアム・フォルツもまた、テラナーであった。
ENDE
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