フランク・ボルシュ

作家情報

フランク・ボルシュ(Frank Borsch)は1966年生まれの作家兼編集者。

1991年のヴェルトコンが開催されたカールスルーエにほど近い、南ドイツのプフォルツハイムに生まれる。
ローダンとのファーストコンタクトは10歳のとき。母の友人宅で彼女のコレクションを見せてもらったらしい。同年にスタートした第4版の定期購読者となり、特にフォルツのファンだったという。

中東・アジアでの10ヵ月の代替役(軍務につかない)を終えた後、フライブルクに移り住み、英語と歴史を学ぶ。この頃いろいろな職業を渡りあるいたらしい。クリーニング屋の配達、コンベアラインでの梱包(Amazonか?)、介護士等々。東欧の環境ハンドブックの編集や大学のウェブマスター、はては北アイルランドで子供たちにドイツ語を教えたりもしたそうな(ローダン公式のプロフィールより)。

1996年12月に、連邦文化教育アカデミー……と訳すのかな。Bundesakademie für kulturelle Bildung in Wolfenbüttelで開催された、クラウス・フリックが講師のSFセミナーに参加したことが転機となり、まず、サブインストラクターとして来校していたヴォルフガング・イェシュケ(Heyne出版の編集長)から、アメコミ関係の翻訳の仕事を得る。
そして1998年にATLANトラヴェルサンの第9話「自由の代価」で作家デビュー。関連書籍や、Heyne版ローダン(アンドロメダ、オデッセイ等)等の執筆を経て2003年の2206話「希望の歌」からローダン・ヘフト本編の作家チームにも参加する。

この時期、2001年から2007年にかけては、VPMの編集者としても活動しており、2000話のおまけ企画「太陽系政庁破壊計画」の翻訳をrlmdi.から出版する際には、彼が窓口になってくれたらしい。
2006年からHeyne出版より『エイリアン・アース(Alien Earth)』三部作が刊行される。
西暦2058年、宇宙飛行士が冥王星軌道で発見した巨大な物体……宇宙船は、やがて地球をめぐる静止軌道に入った。攻撃はなく、コンタクトの試みさえなかった。しかし、侵略はすでにはじまっていたのだ――。
この作品はクルト・ラスヴィッツ賞にノミネートされ、演劇の題材にもなったらしい。ボルシュの出世作といえる。

そして2011年に開始されたローダンのリブート企画〈ペリー・ローダンNEO〉においては第1期100巻の草案作家を務め、自身9篇を執筆している。公式プロフィールにも「ローダンNEOの生みの親」とか書かれている。

で、ハヤカワ版『スターダスト』の解説には、ちょっとした誤解があって……。
2015年の100巻『別のアナザーローダン』をもってボルシュは草案作家を降板、作家チームからも去っている。確かに「ペリー・ローダン宇宙とのつながりはつづきます。読者として――そして、きっと作家として」という挨拶は残されているが、以降、ボルシュはSF関連の舞台に登っていない。

現在ボルシュは、2004年に生まれた息子のティムくんとフライブルクに住んでいる。
同じく公式サイトのプロフィールに、「わたしには長年情熱を傾けてきた2つの対象があります:書くこと、そして自転車で走ることです」とあるのだが、その後、彼はドイツ最大手のレンタルサイクルの会社に転職し、ウェブサイトの管理をしている……らしい。
かつて公開されていたブログ〈戯言(bloße Worte)〉もなくなっているので、そのあたりの経緯を知ることはできないが、まちがいなくローダン世界に大きな貢献を為した彼が、このままSF界を去ってしまうとしたら実にもったいないと思うのだが……。

■公式Info:Frank Borsch
■Perrypedia:Frank Borsch
■Wikipedia:Frank Borsch

Posted by psytoh