テル女:誤訳チェック (4)

ハヤカワ版, 誤訳

結局、1回でおさめるには不適当な分量になりそうなので、ヴリション編も前後編で。
今回は、人類III を含む前半……ソティウルによる計画説明会のくだりまで。

ハヤカワ版:(p161)
「それはわからない」と、ドブラク。「ただ、テルムの女帝は、強力なポジトロニクスの原理で自身の力を制御しているように見える。これは解としてはありえるが、その利用者についてなにかを確証するものではない」

原文:
“Die Frage stellt sich für mich nicht”, erwiederte Dobrak. “Vielmehr sieht es so aus, als würde die Kaiserin von Therm ihre Mächtigkeitsballung nach den Prinzipien einer gewaltigen Positronik kontrollieren. Diese Lösung bietete sich geradezu an und sagt in letzter Konsequenz nicht viel über ihren Benutzer aus.”

試訳:
「その設問は成立しない」と、ドブラク。「むしろ、テルムの女帝は強力なポジトロニクスの原理で力の集合体をコントロールしているように見える。この解はあくまでそこどまりで、結論として、その使用者についてはほとんど述べていない」

Vielmehr は「かえって、逆に、むしろ」。見た目では、ポジトロニクスが管理してるのか、誰かがポジトロニクスの計算にそって管理しているのかわからないよ、ということ。

Mächtigkeitsballung は、従来ファンダムでは〈力の球形体〉とされてきた、超知性体の勢力圏のこと。たしか、力の集合体と訳すんだっけ? 意味的にはそっち(ハヤカワ版)の方が正しいのにね、とはマガンの弁だが、ともかく単語として訳してくれないと。

ハヤカワ版:
ロボットなのか有機生命体なのかを明らかにしなかった。

原文:
Sie sind sich nicht darüber im klaren, ob sie Roboter oder organische Wesen sind.

試訳:
自分がロボットか、それとも有機生命体なのかわかっていなかった。

sich im klaren über … sein (werden) で、「~がはっきりわかる」(klarwerden)。darüber, ob … なので、ob 以下がわかる対象。
研究者たちは、アイデンティティの問題をかかえているのだ。超知性体ではないから。

ハヤカワ版:(p162)
長年にわたりセールコシュ星系をはなれていたソベル人には、友人知己との連絡はとだえていても、あらたな発見があるはず。

原文:
Soberer, die sich viele Jahre außerhalb des Seerkosch-Systems aufhielten, verloren den Kontakt zu Freunden und Bekannten, aber auch zu der stetig fortschreitenden Entwicklung.

試訳:
長年セールコシュ星系を離れていたソベル人は、友人知己とのコンタクトを失うばかりか、たゆまぬ進歩からも取り残されるもの。

補足すると、aber auch (den Kontakt) zu ….. (verloren) で、「しかし、進歩(とのコンタクト)をも失う」が直訳。

ハヤカワ版:(p165)
金にまだ価値があるってわけじゃないが、最後にはどうにかしないとな」

原文:
“Nicht, daß Geld noch einen Wert hätte, aber irgend etwas muß ich schließlich tun.”

試訳:
「カネにまだ価値があるわけじゃないが、結局、何かせずにはいられないのさ」

schließlich は副詞として「最後に、ついに」と辞書にある。体験的には、「とうとう、つまるところ、結局」が加わる。
で、後半を直訳すると、「しかし、わたしは何かをしなければならない、結局」。ただぼけっとしててもねー、というところか。別に、カネ稼いで何かを清算しようという殊勝な心がけなわけでもあるまい。

ハヤカワ版:(p167)
 まだ機能しているティオトロニクスが、部分的にでも秩序をたもとうとしているのか……たとえわずかな一部でも?

原文:
Begnügten sich die noch existierenden Tiotroniken damit, einen Bereich der von ihnen geschaffenen Ordnung aufrechtzuerhalten – auch wenn er noch so winzig sein sollte?

試訳:
 現存するティオトロニクスは、自らつくりだした秩序の維持で満足しているのだろうか――かくも小さなものでも?

ハヤカワ版ほど前向きな文章じゃないと思うんだ……。

ハヤカワ版:(p168)
建物のあいだで、数枚の壁に情報が表示された。無から出現したような映像が、壁面を踊りまわる。

原文:
und zwischen den Gebäuden flammten ein paar Informationswände auf. Bilder flimmerten über die wie aus dem Nichts entstandenen Wände.

試訳:
建物のあいだに数枚の情報壁が点灯。無から生じたかに見える壁面で、映像がちらつく。

ハヤカワ版だと、建物の壁に映像が生じたように読める。「無から生じた」は定冠詞と名詞にはさまれているので、名詞「壁」にかかる。
SFアニメによくある、モニタ画面だけ空間に投影されているようなイメージじゃないか……と思うんだけどなあ。まあ後で、スクリーンを破壊する、みたいな描写があるから、極薄モニタなのかもしれないけど。

■170p

ハヤカワ版:(p170)
 ソベル人は袋小路にはいりこんでしまったのだと思い、ヴリッションはぞっとした。

原文:
Vlission dachte entsetzt daran, daß sie am Ende eines Weges angelangt waren.

試訳:
 ヴリションは、自分たちの道が終点にたどりついてしまったと考え、ぞくりとした。

これが誤訳かどうかは微妙なところだと思う。しかし、いきどまり→どっちにいけばいい→することが必要、という流れは、ヴリションたち自身が路頭に迷っていると見たいが、どうだろう。
ハヤカワ版の場合、ミリュスのセリフを「どうにかせんとならん」と、どこか打開を模索する方向で訳しているので、種族の未来を憂う流れになるのは必然だが、はて。

ハヤカワ版:(p172)
「単刀直入にいおう。艦隊は崩壊した。艦長の大部分は、もう生きていない。各艦を指揮していた者たちがなにを考えていたのか、わたしにはわからない」

原文:
“Ich wage kene Vorhersage”, antwortete er. “Die Flotte hat sich aufgel&oulm;st, der größte Teil aller Kommandanten lebt nicht mehr. Ich weiß nicht, was die Soberer, die jetzt die Schiffe führen, vorhaben.”

試訳:
「わたしは予言はやらん。艦隊は解体され、艦長のほとんども存命でない。いま各艦を動かしている者たちがどうするつもりか、わたしにはわからない」

予言しないよ→知らないからね。まあ、意訳の範囲内……なのかな。
気になったのは、原文の「今」が抜けて、過去の伝聞みたいになっている点。艦隊崩壊以後コンタクトがとれていないから、と想定したのかな。

ハヤカワ版:(p173)
 ティオトロニクス科学者はいまかいまかと返事を待っているようだった。それでもせかすようなことはいわず、礼儀正しく黙っている。

原文:
Vlission hatte den Eindruck, daß der Ankömmling die Antwort gespannt erwartete, die ganze Haltung des Tiotronikers drückte Erwartung aus. Doch Sotiul schwieg hölich, wenn es ihm auch sichtbar schwerfiel.

試訳:
 (ヴリションの見たところ、)ティオトロン工学者は回答をじりじりと待ちうけている。しぐさの端々に期待が見てとれた。礼儀正しく黙っているが、いかにもつらそうだ。

誤訳とはいわない。ただ、「せかすようなことはいわず、」ってのは、いかにも超訳だなあ。

ハヤカワ版:(p175)
今度はロボットだけでなく、べつのソベル人も同道していた。長身痩躯の男で、コスペーリオルと自己紹介した。

原文:
diesmal hatte er außer dem Roboter einen zweiten Soberer bei sich, einen schlanken hochgewachsenen Mann, den er als Kospeelior vorstellte.

試訳:
今回はロボットのほかにもうひとり、長身痩躯のソベル人を連れており、コスペーリオルと紹介した。

いかにも重箱のすみだが、vorstellen sich (再帰動詞) ではないので、自己紹介ではない。主語 er 「彼」は、段落の頭からすべてソティウル。

ハヤカワ版:(p177)
全情報を、いわば“滅びかけた種族の遺産”として、プライアー波に乗せて宇宙に送りだしたのだろう」

原文:
Sie wollten es in einer Prior-Welle vereinigen und in das Universum schicken, sozusagen als Vermächtnis eines zum Untergang verdammten Volkes.”

試訳:
それ(全知識)をプリオール波動に統合して宇宙へと送り出したかったのだろう。いわば、滅びを運命づけられた種族の遺産として」

失敗した、のであり、後のソティウルの説明によれば、送信自体できなかった、のだ。

ハヤカワ版:
ティオトロニクスの秩序が許さなかったはず。全体がシステム・ダウンすることになっただろうから」

原文:
Das System der tiotronischen Ordnung hätte es nicht zugelassen, denn es wäre einem Eingeständnis des eigenen Versagens gleichgekommen.”

試訳:
ティオトロニクスの秩序のシステムが許すはずがない。自らの失敗を公言するに等しいのだから」

システムの Versagen は、確かにシステムダウンにも用いる表現。だが、そうすると、Eingeständnis「告白、自白」が宙に浮いてしまう。ついでに動詞 gleichkommen 「同等である、匹敵する」も(笑) 木村・相良(辞書)の頃から、gleichkommen と gleich kommen (すぐに来る)の区別は要注意らしい。

こういうはしょりすぎな個所が散見されるのは、誤訳じゃない場所でも、修飾節や形容詞を、わりかしさくさく削っているのが遠因。テンポ重視なのはいいんだけど。

ハヤカワ版:(p180)
「第二のモデルの技術条件は、もうすこしわかりにくい。

原文:
“Die technischen Voraussetzungen für das zweite Modell sehen etwas anders aus.

試訳:
「第二のモデルのための技術的条件はまた異なる。

ちょっと(etwas)ちがって(anders)見える(aus-sehen)のだ。どっちもわかりにくいよ(笑)

ハヤカワ版:
それでもなお、すくなくとも数十億の周波数を重ねることになるが。

原文:
Immerhin kommt es trotzdem noch zur Überlappung einiger Billionen Frequenzen.

試訳:
とはいえ、それでも数兆の周波数を重ねることになるが。

用語チェックで述べたとおり、まちがえやすいところ。
余談だが、オーバーラップ Überlappung はドルーフ宇宙との重積ゾーン等で、たまに見かける単語。HÜバリアの「重層」は Überladung 。

ハヤカワ版:
「やや独自のかたちになる」と、ソティウル。

原文:
“Das wäre wenig originell”, meinte Sotiul.

試訳:
「それでは独創性が足りないな」と、ソティウル。

仮定法である。主語の Das は前のセリフを受けて、「充電が最初の方法とおなじ」だと仮定したら、(ein wenig ではなく wenig なので)あんまりオリジナルじゃないね(否定)、となる。

まったく、これだから理系は……と、続くかどうかは知らない(笑)

ハヤカワ版:(p181)
 ゆえに、充電と反射のあいだをとらなくてはならない。

原文:
Wir haben uns also zwischen Aufladung und Reflexion zu entscheiden.

試訳:
 すなわち、充電と反射、どちらかに決めなければならないということ。

第一の手法がエネルギー充電、第二が空間歪曲による反射。直訳すると、「われわれは、すなわち、充電と反射のあいだで自分を決定しなければならない」くらいか。

ハヤカワ版:(p182)
「情報はできるだけ広範囲に伝えるべきだ!」ソティウルが反論。

原文:
“Wir halten die Botschaft so wertfrei wie möglich!” versicherte der alte Tiotroniker.

試訳:
「メッセージは可能なかぎり客観性を保っているとも!」ソティウルが請けあった。

んー……どうやら、weltfrei と読みちがえたっぽい(そんな単語があるかは知らないが)。ヴァリュー・フリー、ニュートラルを維持している、のだ。

ハヤカワ版:
「送信する情報が、それを読み解ける者たちに対する危険を内包しているという見解を、否定するつもりはない。それでも、送信することの利益のほうがはるかに大きいと思うのだ」

原文:
“Ich will gar nicht streiten, daß der Empfang der Botschaft für jeden, der sie entschlüsseln kann, auch Risiken in sich birgt. Sie sind jedoch im Vergleich zum Wert der Botschaft gering.”

試訳:
「メッセージの受信が、それを解読しうる者にとってのリスクをも孕むことは否定しない。しかし、メッセージの価値に比すれば微々たるものだ」

主語の sie は「メッセージの受信がリスクを孕むこと」というかリスク(複数形)それ自体。まァそれ差し引いてもウマーだからいいじゃない、という主張。「送信することの利益」じゃ、おいしいのはソベル人だけ。
原文が「受信」なのに送信、送信と連呼するから、訳がうまくつながらないような。

■182p

ハヤカワ版:
「ソベル文明が将来も生きのこれるかどうかがその決断にかかっていることは、忘れないようにな」

原文:
“Niemand sollte jedoch vergessen, daß eine Entscheidung gegen das Projekt die Existenz unserer Zivilisation im Nachhinein in Frage stellen würde.”

試訳:
「だが、忘れないでほしい。プロジェクトへの反対は、われわれの文明を後世に伝えることを否定するものだ」

im Nachhinein は「後々になって、後の時点で」、in Frage stellen で「異議をさしはさむ、問題にする」なので、直訳すると「後になってみると、われわれの文明の存在に異議をはさんでしまう」→「存在が伝わらない」というかなりの意訳。
もともと誤訳ではないが、「生き残る」という表現が気になったので取りあげてみた。まあ、ソベル人じゃなくて、ソベル人の文明、だから、いいのか別に。國破山河在。

そして、計画実行編につづく。

2019/06/23 ハヤカワ版抜粋追加

Posted by psytoh