シェール&フォルツ師弟こぼれ話

メモ, 作家情報

ハヤカワ版では今月発売の537巻『自転する虚無』で、K・H・シェールの復帰作「M-3より呼ぶ声」が訳出されている。
本書から登場するクリフトン・キャラモンは、後にやはりシェールが生み出すラトバー・トスタンと並んで、往年の「タフな」テラナーの復権としてカリスマ的な人気を博してる。

今回は、まあ、それとは関係なく、本書にまつわるシェールとフォルツ師弟のこぼれ話を、覚書的にここに記す。

500話「虚無より来たる」をもって、シェールが実質シリーズの第一線を離れたのはご存じの通り。大群サイクル序盤(501-511話)の草案は、急遽ウィリアム・フォルツとハンス・クナイフェルの合議でしのぎきったという。
シェールの病名は感染性肝炎だったらしいが、その後数年にわたり病状が芳しくなく、草案作業はフォルツの補佐のもと行われ、674話以降は正式にフォルツが草案作家となる。ただし、技術面については900話台中盤までシェールが協力していた。
Perrypedia等を見れば、963話(1980年2月刊)までシェールがこの「技術草案」を担当していたことがわかる。しかし、これも健康上の理由から79年中にはクルト・マールに譲り渡した形だ。

ところが翌年、軽い流感に罹ったのを機に禁酒をしたところ、みるみるうちに症状が改善された。なんのことはない、肝炎の後遺症でアルコール耐性がまったくなくなっていたことに気づかないまま、本人は「百薬の長」のつもりで嗜んでいたお酒が長患いの因となっていたわけだ。それを聞いたフォルツは、死ぬほど心配していたことも忘れ、涙が出るまで笑ったという。

かくてめでたくシリーズ復帰の運びとなったシェールであるが、その第一作となる本書の草案を敬愛する師匠に手渡すフォルツは、にんまり笑って、
「どうぞ、これが1074話の草案です」
そう、フォルツのPRSデビュー作「戦慄」は――74話であった。

出典:Werkstattband (1986)
シェール禁酒のくだりは、1991年、FC会誌に寄せたシェール追悼文でも紹介したものです。

Posted by psytoh