無限架橋 / I 蜂窩の扉

1 はじけた卵

「はるかな未来、ヘーリークが十分な進歩をなしとげたとき、
 扉は開き、神クメログは汝らのもとへ来たらん。
 そのとき、天は開き、明々と輝く半ばと闇のそれとがあらわれん」

――ヘーリークの言い伝え

 それは、いずこからともなくもたらされたプログラム。
 「左手」の細胞から、不毛の世界に生命を生み出す――。
 分解された細胞は、当然のことながら生体物質と、若干のバクテリアを含んでいた。
 大気すらもたぬ惑星に、生命をもたらす最初の一歩。
 やがて、生命それ自体が、永い時間をかけて世界を改造していった。
 プログラムは走りつづけた。
 クメログが、その完遂を待ちかねているにちがいないのだ……。

 クイックモーション・フィールドの消滅によって、トロカンへの門は開かれた。66年にわたって、ダモクレスの剣のように太陽系の人々の頭上につるされていた爆弾がはじけたのだ。
 キストロ・カンは戒厳令をしき、慎重にコンタクトを運ぼうとする。そこには、現在LFTに属さない存在――《ギルガメシュ》の活動を封じる意図も含まれていた。

 ペリー・ローダンは、無言のまま、待ちつづけた。
 やがて、トロカンに文明を築いた種族ヘーリークが、神――創造主〈クメログ〉――の再臨の日が来たと考えていることが判明する。クメログは“神殿”……あのドリル状の塔より降臨するというのだ。

 永の歳月にわたってクイックモーションの力場に守られ、羊水にひたされた胎児のように成長してきたヘーリーク。突如として、これまで存在しなかった“外界”からの好奇の目にさらされた彼らは文化的に崩壊する寸前だった。
 ヘーリークは祈った。クメログよ、来たれと。
 しかし、天が開いたにもかかわらず、神はあらわれなかった。
 一部狂信者によって、幾世代にもわたり準備されてきた〈巨人シムバー〉の覚醒は、ヘーリークがパニックに陥る寸前である証。精神の力で具現化したシムバーは、術者の動揺によって暴走し、都市を、神殿を破壊しはじめた。
 LFTのコマンドと、ヘーリークの大司教にあたる“クメログの第一公布者”プレスト・ゴーの協力によってシムバーが鎮められる間もなく、第二のカタストロフがつづく。
 数億年にわたって外界と隔絶されてきたトロカンが、復活した昼と夜の半球の温度差に適応しきれず、大規模な地殻変動を起こしたのだ。惑星全域で、これまで体験したことのない大地震が発生する。
 LFTコマンドの身を挺した救助活動にもかかわらず、おのが奉じる神の怒りを前に無気力状態に陥ったヘーリークたちは応えようとしない。

 事態の鍵は、クメログ神殿にある。
 キストロ・カンは、独力ではそれがなしとげられないことを知っていた。
 そして、さしのべられた手が、すぐ隣にあることを。
 《ギルガメシュ》――銀河系で最も優秀なスタッフが作りあげ、最も有能なチームを乗せた、キャメロットの船が。
 LFTコミッショナーの要請に応じて、キャメロットの科学チームが、怒れるトロカンへと降り立った。ローダン、ブル、そしてアラスカ・シェーデレーアの指揮のもと、彼らはクメログ神殿の周囲に散開した。その駆使する機器類は、LFTのエンジニアたちの理解の範疇を超えていた。
 まもなく、神殿地下にわずかな空洞の存在が確認された。
 しかし……ドリル状の塔は、なおもそのうちに秘密を抱いていたのだ。

 神殿の地下の空洞には、奇妙な物体が浮かんでいた。
 あらゆる探知機器は、そこには何も存在しないとしていた。すべてのデータを統合するネーサンも、同様の結論を下した。
 しかし、人々の目は、おぼろな幻としてではあったが、それをとらえていた。
 ――蜂窩。
 科学者の幾人かがそれに触れようと試みたが、その手は空を切った。
 ブルが、シェーデレーアが試しても、結果はおなじ。
 そして……ローダンが進み出たとき、それは起こった。
 その場にいあわせた人々は、幻の蜂窩が輝きを増すのを見た。
 ブリーの制止にもかかわらず、ローダンは物体に“触れた”。
 テラナーの心に、シンボル音声が響いた。それはくりかえし、こう告げていた。

「……柱が開放されます。安全な距離を置いてください……」

 撤収した調査コマンドの目前で、クメログ神殿は大音響とともに崩壊した。
 しばしの沈黙。
 そうして、大地の底から、“柱”が出現する。
 高さ33メートルの、銀色に輝く茸状の円蓋柱が。
 計測器は、それが地下深くつづいており、わずか3分の1が姿を見せているにすぎないと知らせた。――しかし、それだけだった。
 クメログ神殿とおなじく、その材質、構造その他、いっさいは分析不可能。「擬態物質」と名付けられたそれは、つねに観測数値を変動させるのだ。強引にその一部を削りとろうとしたLFTのコマンドは、正体不明のエネルギー線によって、たちどころに消滅した。
 それは、何をもたらすものなのか。クイックモーションの魔法の次に?

 唖然として見上げる人々を尻目に、ひとりの男が柱へと歩んだ。
 ペリー・ローダンは、幻影の蜂窩に触れてから、まるでトランス状態におかれたかのようだった。そして、まるで何かにあやつられるかのように、円蓋柱に触れた。
 柱には、何も起こらなかった。入口や亀裂が生じた気配すらなかった。
 わずか一瞬、周囲に雲のようなものがちらついただけ。
 ローダンと、彼を引き止めようと駆け寄ったブルとシェーデレーアの姿は、ただ単純に、柱壁を通り抜けて消えてしまった。

 その場にいた、キストロ・カンにも、マイルズ・カンターにも、手の打ちようはなかった。円蓋柱は、幻の蜂窩と同様、ローダンにのみ反応したのだ。
 そして、3人を呑み込んだ柱は、代わりにひとりの異人を吐き出した。
 黒い、ひびわれた肌の、ひどく衰弱した小柄な男。意識を失う前に、彼はただ一言つぶやいた。
 それが、どんな言語か、知るものはなかった。しかし、その意味を知らぬものも、またいなかったのだ。

「……クメログ!」

Posted by psytoh